小学校が進学校であった関係上、全員が受験するのが当り前の環境だった。
そして入ったのが横浜では有数の東大合格率を誇る、聖光学院という中学と高校がくっついた学校である。
こんな学校は漫画などと無縁なのは火を見るより明らかである。
ところが、ここでもナギサは漫画同人誌をメンバーを集め秘密裏に活動を始めたのである。
初期メンバーには、一時官能漫画を描いており現在「メディアミックス」という企画会社の社長である田中モサクや、ゲームCGを作る「ベルーガ」という会社の取締役の石井秀明なんかがいた。
まあ、ここまではよくありがちな「ヘタの横好き」には付いてまわる展開である。
しかし、ここからは幸か不幸か、そうそう有りえない展開が待っていたのである。
それは、プロ作家との接触であった!
田中モサクは物理部に所属していた。
私は某マンガの影響で小学校から剣道を始めていたので、ここでも中高通して剣道部に所属していた。
中学の時は主将だったんだよ(^-^)
で、田中モサク(あ、これは本名ではない。本名は茂なのだが、漫画のタイトルの作者名の所に「田中茂作」と続けて書いたため、以後「モサク」と呼ばれるようになり、今でも社長のくせに「モサクさん」とか敬称付きで呼ばれているのである)…とにかく、モサクの部の先輩が同級生(つまり我々から見れば2年先輩)に漫画描いている奴がいるので会わせてやろう、という事になったのだ。
その先輩は土屋進といった。
今も官能誌でかなり活躍しているし、「ジュネ」等でも描いていたので御存じの方もいるだろう。
この人の漫画への熱意は、ものすごいものがあった。
すごい量、そしてとてつもなく上手かった。
土屋さん達も肉筆同人誌を作成していた。他の先輩達も、すごく上手だった。
「作品を見てもらっているプロの漫画家の人がいるから会わせてやるよ」ということになり、当時横浜の井戸ヶ谷という所に住んでいた、その先生のお宅へお邪魔することになった。
鈴木光明先生。この先生との出会いが「ヘタの横好き」で終わるはずのナギサを「ヘタの横好き漫画家」へ変える決定的要因となったのである。
鈴木光明先生については、著書「鈴木光明の少女漫画入門」等を参照していただくとして、長い間第一線で活躍され、石川球太、深井国、両先生の師匠でもある方である。
私がお会いしたころは休筆期間で、実はそれまで先生の作品を拝見したことはなかった(^_^;)
しかし、原画を見せていただくにつれ、私はすぐにファンになってしまった。
「ももこ探偵長」「スーパーみみこ」そして多くの幻想的時代物!
私の大好きなジャンルである。
そして当時としては信じられないような実験的作品の数々。
石森先生が雑誌「COM」で描かれていた「ジュン」のような漫画さえ描かれていた(これは当時「ムードマンガ」と命名されていたそうだ)
とにかく先進的感覚はものすごい先生だった。(あ、今も御健在ですよ…念の為)
後述するが、その後門下生から一種変わった漫画家達が巣立っていったのも十分納得できることである。
そして、それから程無い後、先生のお宅へ通い詰めるようになっていた私の前に、才気溢れる輝く眼差しを持った美少女が現われる。
当時美大生であった、山田ミネコ先生である。