少年期にお会いした先生達-2



水野英子先生、佐藤まさあき先生とお会いする

 と、いってもチラリとお会いしただけである。
漫画を描くことが職業となってからは、出版社やパーティ会場等で漫画家の先生達をお見かけすることは日常の出来事なので一々記していたのではキリが無いのだが、アマチュアの頃はほんの少し話していただいたことも鮮明に記憶に残っているものだ。
 しかし、私のように中学生の頃から当時や後に有名になられる描き手の人達に囲まれて育った環境では、その境目がはっきりしない。だから適当に書かせていただきますので、「私のことは忘れたの?」とか怒らないでくださいね。

 手塚先生を知らない世代が存在するらしいので(信じられないことだが)水野英子先生を知らない人達もいるかもしれない。
 「女手塚」という異名をとる位の少女漫画界の重鎮である。
他にも重鎮的少女漫画家の先生はいらっしゃるが、当時の私の周辺では水野先生と西谷祥子(字あってるかな?)両先生が2大派閥?であったと記憶している。

 私にとって水野先生の存在は、とても大きかったし、たぶん今でもその影響下にあると思う。
少女漫画(当時の)の枠にとらわれないスケールの大きさ、可愛いヒロイン。そしてファンタジー中心の世界。
「星のたてごと」「ハニーハニーのすてきな冒険」「すてきなコーラ」「星のファンタジー(短編集)」「白いトロイカ」そして…「FIRE!」

「FIRE!」はすごかった。絵のタッチもガラリと変わり、それまでの作品にわずかに見え隠れしていた暗黒面のファンタジー性(そもそもファンタジーとは暗黒面のものなのかもしれないが)が表に遠慮無く打ち出された作品だった。
 ジャンルとしてはロック物なのだろうが、ロック自体がその発祥からして暗黒面抜きでは語れない存在であるし、水野先生はたぶんクラシックの素養もかなりの物だと思われ、その流れを無視できないブリティッシュロックの暗黒面にも影響されておられた様に思う。
 今、私が別枠で小説として書いている「ハートブレーカー」は、どう考えても「FIRE!」の影響下の作品に他ならない。(もちろん、それから年齢を重ねた私の音楽への根源的探索は付加されているが)

 で、水野先生にチラリとお会いしたのは、そのころ行われたサイン会の席でである。
私は「FIRE!」の中の「ファイヤーウルフ」の熱狂的ファンだったので「ファイヤーウルフを描いて下さい」と頼んだのだが、長蛇の待ち人の中、その願いは叶えられず「ごめんね。絵を描きわける時間がないの」という水野先生の優しい御言葉をいただいた。
 

 実は、それ以前にもラジオ番組で水野先生とお話させていただいたことがある。
一つずつ質問して良いとのことだったので、
「漫画は読者の為に描くものなのですか?それとも作者自身の考えや生き方を伝える為に描くものなのですか?」なーんて小生意気な質問をすると(中学生だからね…今では二者選択する類でないことは解っとりますです)しばらく考えておられて、
「難しい質問だけど、私は後者の描き方ね」と答えて下さった。
 ほんとに難しい質問だ。誰も尋ねはしないだろうが、今私に同じ質問がされたとしたら…やっぱり同じように答えるだろうな。

 佐藤まさあき先生は水野英子先生とサイン会で同席されていた。
著書「劇画の星をめざして」は劇画界の流れを知る上で欠かすことのできない貴重な一冊なので、是非読むことをお勧めする。

 貸本時代の制作風景等、実に興味深いし、発行部数の割りに原稿料が今とは比較にならない高さなのに驚ろかされる。
 専属契約代りに家一軒与えられていたりするのである。
佐藤先生は劇画黎明期の大御所のお一人だが、屋内に滝のある豪邸やクルーザーまでお持ちになられる程のお金持ちとは存じあげなかった。
 その栄華も一気に下降してしまうのであるが、その過程もいかにも良き時代の劇画家らしく読ませる内容になっている。いや、本当に面白い一冊であった。

加藤直之先生とお会いする

 漫画家ではないが、知らない人は少ないと思われる有名SFイラストレーターである。
CGの分野でも活躍されているので、ネットを利用している方ならパソコン雑誌等で御尊顔、作品共に目にしているに違いない。著作権関係でも積極的な活動をされており、某団体の理事もされている。

 私がお目にかかったのは、おそらくデビューされる前ではないかと思う。
水野英子先生に続いて加藤さんのことを書くのは記憶が連想しているからなのだ。

 私が水野先生の「FIRE!」の熱狂的ファンであったことは既に述べたとおりである。
その「FIRE!」が豪華単行本、しかも著者サイン入り限定本として出版されることになった。
これは、何を置いても手に入れるしかない。
 私は漫画大会の役員をしていたから、そのコネクションを利用してなんとかならないかと周囲の人に尋ね回ったところ、水野英子ファンクラブ関係から、ある人物を紹介してもらった。
 連絡してみると、残部は少ないがなんとかしてくれるという。話をしているうちに鈴木光明先生の大ファンであるのでサインを貰ってくれないかという話になった。
 私は鈴木先生の色鉛筆で丁寧に着彩された色紙(ほとんどカラー原画といって良い凝ったものだった)を数枚所有していたので、それを差し上げましょうということで話はまとまった。

 受け渡し場所は、松本零士先生と同じ西武池袋線の東長崎…松本邸に比べれば少しは近いが私の住んでいた所からは、やはり気の遠くなるような遠方であった。(と、思ったが名刺を見てみると南長崎になっている。この辺は西武新宿線も近くを走っているので…と、思う…そっちの駅かもしれない。昔すぎて忘れた)
 何故か同級生の石井秀明もついて来た。お陰で色紙提供は2枚になってしまった。つまり2冊わけてもらうことになったのだ。
 しかし、池袋線という所は縁の深い線である。この後、この沿線に住むことになろうとは当時の私には想像すらできなかったことである。

 鈴木先生の2枚の色紙に感動したその人物は、かなりの格安価格で「FIRE!」(広辞苑くらいの厚さがあった)2冊を譲ってくれた記憶がある。
 差し出された名詞には「有限会社クリスタルアートスタジオ 宮武一貴」と記されていた。
そう、後にイラストレーターその他(よく知らないのだ)で活躍される宮武氏だったのだ。
 そして、クリスタルアートスタジオは、後に改名されて「スタジオぬえ」になるのである。

 宮武氏は奥に声をかけ、長髪の眼光鋭い痩せこけた青年を呼び出すと私に紹介してくれた。
「ウチのイラストレーターの加藤直之です」

「ファイヤーウルフだ」と私はとっさに思った。
最近パソコン誌等で拝見する加藤さんは、ずんぐりたぬきの様であるが当時はすごく痩せておられた。

 時が経ち、SF好きの私は書店で加藤さんの絵を目にするようになる。
「この人は火星シリーズの挿絵の人の後を継ぐすごい挿絵家になるな」と私は確信した。
 その後の加藤さんの活躍ぶりは周知のことである。私は見る目だけはあるのだ。

 さらに時が経ち、手塚先生のお手伝いをさせていただいていたころ、近くにスタジオぬえがあるというのでアシスト仲間に連れていってもらったことがある。
「メカばかり描いている連中らしい。そんなので食えるわけないさ」と彼等は言ったが、私はそうは思わなかった。そして、心の中でエールを送った。
「がんばれ、加藤さん」

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